鳥井が大学の授業で提出したレポート

鳥井が大学の授業で提出したレポートです。分野的には社会学・文化人類学あたりに分類されると思います。

日本の戦争認識と沖縄問題

1.単一民族国家という神話

日本において「日本人」という単一民族神話は強く信じられている。かつて『菊と刀』(ルース・ベネディクト 1946)や山本七平の一連の著作など多くの日本文化論が「日本人論」と呼ばれ、現在でも参照されている。これらに限らず現在に至るまで多くの「日本人論」が世に出されており、同質性を前提とした日本人というアイデンティティは確固たるものとして日本に存在しているといえる。小熊英二によると、このような神話が一般的となったのは戦後以降であり、戦前戦中は多民族国家としての認識が一般的であり、単一民族国家としての日本は敗戦による植民地の喪失と国民的な自信の喪失に対する反動であったという(小熊 1995)。しかし国内においてはアイヌや沖縄、在日朝鮮人など様々なルーツやアイデンティティをもつ人々が住んでいる。単一民族神話はそのような差異を無視することとなり当該の人びとへの差別につながる。日本で単一民族神話が強い力を持つ理由としては、欧米における人種のような目に見える違いがないために、「無意識的かつ間接的」(樽本 2009:28)な差別としてはたらきやすいことがあげられるだろう。本稿では主に日本における差別の対象としての「沖縄」を日本の太平洋戦争への戦争認識と戦争の延長線上である基地問題の関係の中で論じる。

 

2.沖縄県の特殊性

日本を構成する一つの地として、沖縄は特殊な地であるといえる。歴史的には、古くから朝貢貿易によって中国と日本の橋渡し的な役割をしており、1609年の薩摩藩による琉球侵攻を経て、1879年に琉球処分により当時の明治政府に併合された。その後1945年に地上戦を経てアメリカ政府により占領され、1974年に日本に「返還」された。また防衛省によると現在においてアメリカ基地負担の7割を沖縄県が負担している。また現地の政治情勢については、2017年の衆議院議員総選挙小選挙区沖縄1区~4区において自民党所属の議員が小選挙区当選したのは沖縄3区のみである。これは国会において過半数が自民公明勢力でしめられている現状を考えると特殊である。

 

3.悲劇の地「オキナワ」という記号化

固有の地名がカタカナで表記され記号化されるとき、そこには政治的でステレオタイプな象徴性が込められている。例えばヒロシマナガサキは原爆の被害を受けた地としての記号をあらわしている。近年の例では、2009年の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故によって大きな損害をうけたフクシマが「都市によって搾取され、ときに蹂躙される地方」を表象する記号となっているのも記憶に新しい。オキナワについても同様に太平洋戦争末期の地上戦による悲劇の地としての表象を担い、背負わされてきた。オキナワが、同じ太平洋戦争の被害者という性質を担ってきたヒロシマナガサキと異なる点として、「返還」にいたるまで歴史的な背景と現在でも多大な基地負担を強いていることがあげられるだろう。

これを考えるにあたり、ポップカルチャーにおけるオキナワの語りは、しばしば沖縄以外の人間によってなされる、ということについて議論する。まず、その例としてはTHE BOOMによる『島唄』があげられる。作詞作曲者である宮沢和史山梨県出身でありながらも、沖縄の風物をいかにも沖縄らしい「ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド」の音階にのせて歌い、大ヒットを記録した。また寺島尚彦(栃木県出身)の作詞作曲で、ちあきなおみ(東京都出身)や森山良子(東京都出身)など多数の歌手が歌唱した『さとうきび畑』も、悲劇の地オキナワを描く代表的な作品である。ここにおいて考えられることは悲劇の地オキナワを内地の人間が語り、それを内地の人間が受け入れることによってなされる沖縄の内地への同化効果である。沖縄の人間がオキナワを語ることは内地vs沖縄の対立の構図を鮮明にする。しかし、それは内地の人間にとっては快いものではない。基地問題という現在進行形の課題をかかえており、場合によっては自らの居住地に来ることも否定できないという状況においては直接の利害問題として関係する。そのような状況のなかで沖縄をオキナワとして意味づけるポップミュージックを「日本国民」が受け入れることは、内地の人間にとって目下の基地問題をごまかすはたらきをなしてきたといえる。

 

4.日本のあいまいな戦争被害者性

また東京大空襲に代表される大きな犠牲者を出した空襲被害地は過去、現在においても都市であり、再開発によって戦争の記憶を風化させやすい。そのような風化の危惧に対して、沖縄のひめゆりの塔平和祈念公園、広島の原爆ドームや長崎の平和祈念像を立て、それぞれオキナワ、ヒロシマナガサキと記号化することによって日本全体の戦争の被害者性を担わせてきたといえる。この日本の戦争被害者性がきわめてあいまいであることも重要である。広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という文言が記されているが、過ちを行った主語が「日本国民」なのか「旧日本軍」なのか、はたまた「アメリカ」なのか人それぞれ自由に解釈できてしまう点で、戦争の加害者が不明瞭である(1。また小熊英二は沖縄平和祈念資料館において「戦後史の描き方が定まっていない」ことを指摘している(小熊 2011)。これに関連して、終戦記念日は公式に制定され、毎年セレモニーが行われるのに対して、開戦日は制定されていないこともあげられる。開戦を日中戦争からと捉えるなら満州事変勃発の9月18日や盧溝橋事件発生の7月7日、 太平洋戦争からと捉えるなら真珠湾攻撃の12月8日が記念日となるだろう。しかしながらそのどれもが戦争と結び付けられていない。反省されるべき戦争がどこからどこまでをもって戦争とするかが示されないことで、戦前/戦中という区別すらあいまいになっているといえる。これらの点から戦前、戦中、戦後史ともに日本の戦争被害者性はあいまいである(あえてあいまいになされている)といっていいだろう。このことは「戦争責任を誰がとるべきなのか(そのうえで誰が負担するべきなのか、あるいは日本は負担するべきでないのか)」という議論において基地問題の論点をあいまい化させることにつながっている。ただでさえ国防・外交的な視点において大きな意見の相違がみられるのに加えて、さらに歴史的な点があいまいになることによって意見の複雑化につながっている。沖縄問題は様々な政治的立場の人間からほぼ常にセンセーショナルな問題として扱われながらも、結局は国防・外交的な意見と戦争における歴史的な意見を掛け合わせた複雑性のなかで放置されてきたのである。

 

[注]

1)広島市の公式サイト「原爆と平和に冠するQ&A」によると、「原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?」への解答として「原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならない」と記述されている。この文面より、仮に「過ち」を犯した主語を「全世界の人々」としたところで主語が大きすぎて、やはり文意はあいまいであるといわざるをえない。

 

小熊英二,1995『単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜』新曜社.

――,2011『私たちはいまどこにいるのか』,毎日新聞社.

樽本秀樹,2009,『よくわかる国際社会学』,ミネルヴァ書房.

防衛省自衛隊,『沖縄基地負担割合について』, 防衛省自衛隊

http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/saco/teigen.html

,(最終閲覧2018年7月25日).

広島市,「原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?」,広島市

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111632890024/index.html

,(最終閲覧2018年7月25日).